金魚の死で思うこと

先日次女が夜店の金魚すくいで取ってきた金魚が死んでしまいました。たった5日の命でした。とりあえずカブトムシを飼うケースに入れて餌と酸素供給の錠剤を買ってきて、さあこれからどうしようという矢先の事でした。
たった5日とはいえ、飼っていたいきものがいなくなるという事は精神的にこたえます。これが長年飼っていた犬や猫なら比べ物にならないくらいの悲しみなんでしょうね。「ペットロス症候群」なんて言葉では言い表せない心の重みに違いないでしょう。
死んでしまった金魚を埋葬しようと外に持っていき、埋葬場所を探してうろうろしていると、普段は全く忘れていた「自分もいつか死ぬ」という現実が、突然ぐっと襲ってきたのです。
それと同時に、大学時代に読んだつげ義春の「ねじ式」の一コマ、
「死なんて、真夜中に背中の方から段々と巨人になっていく恐怖からしたら何てことはない」
がふと頭に浮かびましてね。当時はピンと来なかったんですが、これは「死」そのものよりも「自分がいつか必ず死ぬという事実の重圧」に背中の方からじわじわと押しつぶされそうになる恐怖ではないかと気が付いたんです。死んでしまえばそれで終わりですが、死の影に怯えながら日々を過ごしていく事は死というゴールまで続く苦行になるでしょうから・・・。
幸い人間には「一時的に忘れる」という貴重な能力があります。とりあえず目の前の事、日常の事で頭が一杯になるくらいにしっかりと取り組む。それが死の呪縛から精神を救う現実的な方法かもしれません。
明日も仕事がんばります。みなさまの健康のためにも。