きよしこ
長い間封印していた重松清さんの「きよしこ」を読みました。買ったまま長い間読まないでいたのは、吃音があり小学校の頃に転校を繰り返した僕と主人公の境遇があまりにも似通っており、ちょっと怖くなってしまったからです。
読み始めてみると、なるほど、吃音者自身にしか書けない描写が所々に見られます。周囲の好奇のまなざしや、言葉が上手く出ないときの情けなさややるせなさ。そして間違った治療法。「言葉の教室」なんて意識させればさせるほど言葉は出なくなるのにね。
「疾走」が重松さんの人生の中で沈殿していった泥を掬い上げて宗教という釉をかけて焼いた器を破壊して文章に認めた作品であるなら、「きよしこ」は人間関係の中で生じる普通なら捨ててしまうような灰汁を丁寧に救い上げ、そのまま文章として並べていった作品と言えるでしょう。
波乱万丈な展開は何一つ起きず、描写も淡々としています。ハラハラドキドキの小説が好きな方には退屈に感じるかもしれません。しかし気が付くと文章が皮膚からじわじわと浸透し、読み手は主人公の少年そのものになっています。読み終えたとき、あなたは主人公とともに成長した不思議な温かさに包まれている事でしょう。
たまし