全てを知ることがいいことだろうか
国民の「知る権利」に基づいてマスコミは連日様々な報道を行っている。それは民主主義国家にとって重要かつ当然の事である。
しかしながら本当にそこまでの報道が必要かと疑問に感じるケースも決して少なくはない。
例えば少年犯罪で、殺害された被害者の少年がどのように暴行を受け絶命していったかを詳細にわたり公にする必要があるのか。
子供が虐待されて衰弱死していく過程を全て知らしめる必要があるのか。
それはただの下種な好奇心であり、「知る権利」とは別の次元の話ではないのか。
全てを知ることが本当に必要か、情報の発信側も受け手側も改めて考える必要があるのではないだろうか。
多摩市多摩センターの整体院身体均整堂からだや